2015.5.30
今回の週末旅行の目的は、Eisenach(アイゼナハ)郊外にある
世界遺産の城と
極楽ホテルを満喫すること。しかし折角ここまできたのだからと、無理言って立ち寄ったのがEisenach(アイゼナハ)のBACHHAUS(バッハハウス)。偉大なる音楽の父
Johann Sebastian Bach(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)の記念館で、いつか訪れてみたいと思っていたのだ。到着するや否や目についたのが、こちらのバッハ・ミニケーキ。見学する前に、まずはバッハケーキとコーヒーで一服。
BACHHAUS(バッハハウス)の入り口近くには、当のご本人であるバッハ様の像がございます
Leipzigで見たバッハ像より幾分お太りになられているため、こちらの方が貫禄たっぷり。この体型から察するに、美味しいものが大好きだったことでしょう。そういえばバッハの遺品の中には、コーヒーポットやコーヒーカップの類も入っていたとか。当時高価な嗜好品とされていたコーヒーをおそらくバッハも好んで飲んでいたのでしょうね。BACHHAUS(バッハハウス)に着いて早々、バッハケーキとコーヒーに直行したのは、もしやバッハ様のお導きか!?
こちらが記念館となっているBACHHAUS(バッハハウス)でございます。18世紀ここにはバッハの親戚が確かに長いこと住んでいたそうで、そのためか「バッハの生家」などと誤って紹介されることもあるようだ。実際にはここからほんの少し離れた場所で、バッハは生まれたらしい。
『
Johann Sebastian Bach(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)とその作品に関わる全てのもの』を収集・公開・保存するために、Leipzig(ライプツィッヒ)を本拠地とする新バッハ協会なる組織によって
記念館はつくられた。博物館のガイドにこちらの写真は何かと尋ねたところ、「1907年5月27日にBACHHAUS(バッハハウス)がオープンしたときのものだよ。」と返ってきた。バッハは8人兄弟の末っ子だが、9歳で母を10歳で父と幼くして両親を亡くしている。両親なきあとは兄に引き取られ、この街を出ることになる。その後はEisenach(アイゼナハ)を拠点として活動することはなかったが、自らを『アイゼナハ人』と呼び、最後までこの街の市民として生きたんだそう。記念館オープンを祝いこれほど多くの人が集まったのは、バッハがこの街の人々の誇りであるという証でしょう。
記念館をじゅんぐり歩くと、次から次へと見慣れぬ楽器が目に入る。バッハが生きた時代には、現在知られている楽器の原型となる古いものや、新たに創作された楽器、その新旧を合わせてもったものなど、多種多様な楽器が存在したそう。くねくねと曲がったユニークな楽器も、当時の数あるもののひとつ。バッハは作曲家、演奏家という顔に加え、新たな楽器を開発するなんていうことにも携わっていたんだと。さらには楽器のレンタルや販売、仲介なんてことまでしていたそうで、ただの音楽家でないことが伺える。
バッハは作曲する際、最初は楽器を使わずに紙とペンのみで曲を書き上げ、最後にキーボードみたいなクラビィコードで確認してひとつの曲を完成させたんですって。記念館にはつい先ほどまで、ここでバッハが曲作りをしていたかのような部屋・作曲室もございます。記念館の家具はバッハが使っていたものではございませんが、どれも彼が生きた時代の調度品で、ワイマールの宮廷古美術商がこの記念館のためにと調達されたものなんだとか。作曲室の臨場感がただならぬのも、その時代の雰囲気が部屋に満ちていたからでしょう。
作曲室だけでなく寝室、台所なども、バッハが生きた時代の頃が復元され、当時の暮らしを垣間見ることができるようになっております。
記念館2代目館長は『BACHHAUS(バッハハウス)では音楽は沈黙してはならない』という言葉を残しておりまして、彼の指針は今なお実践されておりました。復元された18世紀のハウスオルガンやチェンバロなど、種類の異なる5台の鍵盤楽器の演奏会が毎日行われており、古い楽器の音色を自分の耳で聞くことができるのだ。これは他では体験できない、まさにここでしか!というお楽しみ。
チェンバーオルガンの実演では、聴衆の中から選ばれた一人がふいごの足踏みをお手伝いしておりました。演奏会終了後、このオルガンの中を見せてもらうと、中には大きなふいごが入っておりました。足踏みしてふいごを動かすことでパイプに空気が送られ音が出る仕組みになっているので、足踏みするふいご担当がサボると音が出ないなんてことにも。演奏者のみならず、ふいご担当も重要な役割だったのでしょうね。
どの楽器の鍵盤にも、『触ってはなりませぬ!』と書いてあるのに、鍵盤をポンと押してしまった方がおりました。聞いているだけではこと足りず、ついつい鍵盤を押してしまったよう。
古い建物に隣接するモダンな新館では、バッハの代表曲なんかをじっくり視聴することができる。またバッハ直筆の楽譜なども展示されており、バッハファンにはたまらない空間でしょう。
バッハがLeipzig(ライプツィッヒ)の街の音楽監督に就任した頃には、街にいくつものコーヒーハウスがあったよう。コーヒーハウスの中には生演奏を売りにする店もあり、バッハ自身も演奏していたとされている。コーヒーとバッハ、切っても切れぬ関係なのだ。そんなバッハは、コーヒーのことばかり考える若い娘と、娘からコーヒーを遠ざけようとする父親をテーマにした曲、” Kaffeekantate ” を作っている。かつてコーヒーは男性だけがたしなめる嗜好品とされていた時代もあったそうで、コーヒーを女性が飲むなんてという時代背景があったのかもしれませぬ。コーヒー好きのバッハとしては、ただ単に誰をも魅了するコーヒーの美味しさを曲にしただけかもしれないけれど。記念館のコーヒーショップはこのカンタータに因んでか、そのものずばり ”Cafe Kantate”という名でございます。
博物館や美術館のよくあるセルフサービスの店ではあるが、バッハの曲に因んだ名のカフェは立ち寄り必須でございましょう。
カフェ自体は新館になるのだが、オープンテラスに出てみると、BACHHAUS(バッハハウス)の裏庭を眺めることができるようになっている。
バッハが幼少期を過ごしたEisenach(アイゼナハ)の街には、彼が授洗した洗礼盤が残る教会もございます。ゆっくりと街歩きをしたいところだが、今回は記念館を堪能して次の目的地へと向かうことといたします。
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